透明な接吻 二.

 彼から “着いたよ” のメッセージを受信した。自分に嘘のない、心地いいお洒落をした。お化粧も派手になりすぎず、地味すぎず、我ながらいい塩梅だ。彼に会って、例えどれだけ動揺しても自分には素直でいようという約束を心で誓い、玄関のドアを開けた。

 外に出てみると一台の白いトラックがこちらへ向かってきた。彼だった。

 久しぶり。

 いい笑顔ができていたのかはよくわからない。でも、二人の呼吸が軽く混ざり合うのに時間はかからなかった。淹れたてのコーヒーにミルクを混ぜて出来たカフェオレのような、マイルドで美味しい空気感がすぐに創りあげられていた。

 お腹空いてる? どこに行く?

 そんな会話から始まった。お昼過ぎに彼と会うのは何気に初めてかもしれない。そんな初体験も私の心はふわっと楽しんでいた。

 州立公園に行くまでの道のり、この川に飛び込んでみたら面白そうじゃない?と周りの景色を楽しんだり、自分たちのちょっとした近況を話し合ったり。以前と何も変わらない楽しいひと時だった。

 公園に着いてみると、あるはずのハイキングコースが見当たらない。私はハイキングをするとは思っていなくて、革靴で来てしまったので、舗装されていない道はかなり歩きにくかった。

 スニーカー履いてこればよかった。

 ほんとだね。疲れたら俺がミライをおんぶしないといけないかな。

 やったぁ!

 やったぁって。笑 して欲しいの?

 うん。だって歩かなくていいから楽ちんだもん。

そんな小さな会話が心地よかった。私は履いていた靴を手に持ち裸足で歩いた。こちらの方がいくらか快適だ。

 ねーねー、ハイキングコース見つからないなら海にでも行く?

 海はまた今度行くからさ。俺、昼から何にも食べてないから腹減ったな。

 OK.じゃ、何か食べにいこ!

 何がいい?

 何でもいいよ。私が何でもいいって言った時は本当に何でもいいからね。でももし選びにく

 かったら、何か軽いものが食べたい。

そう言うと彼はケータイで検索し始めた。

車に乗り込み、彼はケータイのナビゲーションを設定した。

道中、助手席側に牧場が見えた。

 ロバ?!

彼が大きな声で言った。

 ロバ?ロバなんていないよ。全部牛だったよ?

 ううん、牛の中に一匹だけロバがいたよ。だからロバって言ったの。

 そうだったの?見てなかった。牛になりたいロバかな。笑

意味のわからない会話もした。

到着した先は海がテーマの可愛いカフェだった。

 なんか可愛いカフェだね!

私は彼のチョイスを褒めるようにそう言った。

私はマグロステーキサラダを注文し、彼はブリートを注文していた。相変わらず彼の注文は複雑で、少し笑ってしまった。

 ねぇ、なんでいつもそんな複雑な注文するの?

 俺の好きなようにしたいの。俺がお金出すんだし。

 ふーん。レストランの店員さんも大変だねぇ。

彼はどこのレストランに行っても大概、複雑な注文をするのだ。これとこれとこれは抜きでこれを足して、ソースはこれでと…そこは毎回理解するのに苦しむところだった。

 ご飯を食べ始め、何でもない会話をした。まるで昨日も会っていたかのようだった。これが終わると家に帰らなきゃいけない。ふと、そう思うと、もう少しだけ一緒に居てもいいのになぁと思う私がいた。

 

 お腹もいっぱいになり、駐車場に向かった。彼は友達と電話をしながら、今ミライと一緒にいるからさ…そう話しながら、彼は助手席のドアノブに手をかけドアを開けてくれた。

 私のために開けてくれたの?そんなこと出来るのね!見直したわ。

そう言って私は彼の車に乗り込んだ。

 

 今日はこれでお終いか。でも楽しかったな。

アパートの敷地に入ると彼は

 今日、会えてよかったよ。

と私に言った。

 私もあなたに会えてよかったわ。会いにきてくれてありがとう。

と伝えた。

 車がゆっくりと停止した。

 次会う時はもっとゆっくり会おうね。

 うん。

そう言葉を変わし抱擁をした。

空気が少しだけとまった。

彼の唇と私の唇がそっと優しく重なった。

そして、重なり合った唇の熱をゆっくり、ゆっくり、二人で確かめながら感じ合った。

まるで、新しい何かが始まるかのように。

私の顔がニコッと綻んだ。

 バイバイ。

そう言って私は車を降りた。少しだけ複雑で透明な想いを抱えながら。

 

 

透明な接吻 一.

彼の匂い(かおり)を感じたくて。

何度忘れようと思っても忘れられない。

彼に大切な人が出来ようとこの想いは変わらない。

いつか遠い遠いところで、私は彼といつも一緒に居たのに離れ離れになって

この地球で出会えたのに、今はまた違う道にいる。

梅雨っぽい季節の中、久々に晴れた土曜の昼下がりだった。

 彼の瞳を見るのは何年ぶりだろう。

 元気だった?

お互いにどんな表情をしていいか少し迷いつつ、でも心はしっかりとここにある。 

久しぶりの抱擁を交わした。

 出会った頃の彼のあたたかさとは少し違っていたけれど、何年もの空白を感じさせない私たちの空気感が心地よかった。

  彼が夢に何度も出てきて、キスをしていた。優しいのにどこか切ない君の表情。不思議な感じ。彼の名前をこの街で幾度となく目にする。まるで彼が何か言いたいことでもあるかのように。

 ずっとずっと前に彼と出会って、一夏の恋をして、どれくらいたっただろう。

お互いにそれらしい人は出来ても、彼からの連絡がなくなっても、私の心の一部はまだあの頃の温度を記憶していた。

 

 しばらく止めていたSNSを再開させたら、彼のアカウントが出てきた。フォローはせずに、

 元気にしてる?

とだけ送った。

 以前、彼を必要以上に忘れようとして見えるものは全部捨てた。連絡先、彼からきたメッセージ、貰ったアクセサリー、写真。でもそんなことをしても私の心は記憶し続けることを選んだ。だから無駄な抵抗はやめにした。

 私の胸の奥深くにそっと…公園で見つけた四葉のクローバーをそっと大事な箱に入れて保管して、ほわっと暖かいハートになる女の子みたいに…ずっとあの頃のあたたかい気分でいることにした。今はここになくても、心になら想い出を死ぬまで、いや、死んだ後まで保管できるはずだ。

 SNSの返事はしばらく来なかった。どれだけ頑張っても実らないこともあると離婚をした2、3年ほど前に学んだ。私の心はは少し前より随分、研ぎ澄まされたと思う。少々のことには動じない。返事が返ってこないことは大した問題ではなかった。そのあとも何の変わりもなく日々を過ごしていた。

 何の投稿だったろうか、彼が私の投稿にスタンプを送ってきてくれていた。驚きと同時に、私の顔は緩んでいたに違いない。

 何の風の吹き回しかはよくわからなかったが、彼は次第に私の投稿に反応してくれるようになっていた。そしてしばらくそれは続いた。彼とのメッセージのやりとりも少しした。どうやら付き合っていた女の子とも別れたようだった。

 ねぇ、私あなたに会いたいよ。

唐突に出た心の声を入力した瞬間に、私の指は送信ボタンを押してしまっていた。

 僕も、あなたに会いたいな!

彼が返信するのにそんなに時間は掛からなかったようだった。